ビターチョコは、好きですか?



14日の朝、飛翔は真っ白になっていた。
苗は生長してはいたものの、実がついていなかったのである。
(どうしようどうしようどうしようどうしよう!)
水やりはしていたものの、チョコレートの苦さの調整やらレシピの確認やら
昨日に至っては、なんとか苦手な酒の味見ができないかとねばり
結局わからずわからないものをあげるわけにはいかないんだと諦めるなど
苗のお世話をしっかりしていましたとは言えない状態だったのであった。
「本末転倒とか、取らぬ狸のナントヤラだよ、これじゃぁさぁ…」
脱力して、まだ冷たい土の上に座り込む。
「つ、つめたい…」
それがもの悲しい気持ちに拍車をかける。


バレンタインという行事は風の噂で知ったもの。
現在過ごしている土地は、様々な地方出身の人々が集まっているところなので
飛翔の知らない習慣も多々ある。
バレンタインというものは、お世話になった人などにチョコレートを贈る習慣らしい。
本当はみんなには贈りたいところだけどカカオが貴重なので難しそうと思っていた。

でも、どうしても、渡したい人がいた。


飛翔は狭い世界の中で成長した。
邪心教の教えだけを知っていれば良いのだと言われ、友達がいなかったのはもちろん、
外に出してもらえたことも無かった。
周りの大人には邪心教団長の息子だからと、
妬みなどの感情を向けられることはあっても、積極的に接触されたことは無かった。
部屋の本を読み、たまに父親と話すことがあるだけの毎日。
そのためひどく世間知らずだし引き出しが少ないし
ユーモアも無いまま、体だけ大きくなってしまった。
「無事に20年育てること――さすれば」
そんな契約の元で育てられたとは思えない、と飛翔は思う。


だから、彼女に出会ったとき、驚いた。
自分に無いものをたくさん持っているひと。
今いる世界の人たちはみんな優しいし、器も大きい。
その中でも別格なんだ。
やがて、これが憧れってやつなのだと気がついた。
気がついたのは、一緒に食事をしているというスライムにジェラシーしたとき。
どうしてなのかは、自分でもわからない。


ここで座り込んでいてもしょうがないと
飛翔は立ち上がって、食料庫からカカオをひとつ持ち出してきた。
苗を買ったとき、一緒に買っておいたものだ。
ただ、せっかくなら苗から育てたものでチョコレートを作りたかったのだけど。
それ以上に今日に贈ることを優先しようと決めた。

特にハプニングも無くおいしくできあがったガトーショコラは、確かに渡すことができた。
でも、完全に浮かび上がっていてお世話になっていますチョコではないと言いそびれた。

それでも、飛翔は満足だった。
むしろ、言えなくてよかったとさえ思う。
みんなのなかで楽しそうにしている姿が一番好き、なんだから。



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